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    2015.12.27 Sunday

    У鳥の心は知らず年の暮

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      JUGEMテーマ:俳句




      〇魚鳥の心は知らず年の暮(うおとりのこころはしらずとしのくれ)松尾芭蕉(1644-1694)
      季語:年の暮(冬)(南蔵院、東京都練馬区)

      見つかるまで寺院内を2、3周しただろうか。お堂の前の木の根元にある小さな句碑だった。
      掲句をネットで調べると「魚鳥の心は知らず年忘れ」と季語が「年忘」のほうが多い。
      手持ちの歳時記(新日本大歳時記)では「年の暮」は時候の分類、「年忘」は人事の分類で、意味も違う。
      「年の暮」だと「一年の終わり、十二月も押しつまった頃」で、「年忘」は「一年の苦労を忘れる意」で「親族や友人、知人が集まって宴を張ること」であり、いまでいう「忘年会」で「年忘」の傍題となっている。
      芭蕉は最終的にどちらを表現したかったのだろう。
      「年忘れ」のほうで意味をそのままとれば、魚や鳥の心はわからないけれども、まあ忘年会でもして楽しもう・・という感じか。
      芭蕉ともなればもっと深い意味があるようで、鴨長明の『方丈記』の「魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心を知らず」を踏まえているという。
      だから何??・・とまだよくわからなくて調べると、『週刊俳句Haiku Weekly』に「魚と鳥と」と題したおもしろい解説があった。
      http://weekly-haiku.blogspot.jp/2010/12/blog-post_26.html
      以下、抜粋
      『しかしながら、単に長明をなぞるのではなく、この句で芭蕉は二種類の意味を掛け合わせているんじゃないかと、私は考えるんですね。一つは表面の字義通り、「魚や鳥の気持ちなんか、われわれにわかるわけがない。今日は人間同士楽しく忘年会をやろうゼ」ということです。
      ところがその一方で、「魚鳥の心」を「俗を好まぬ侘びの心」ととるとどうなるでしょう。「われわれ俳人は、魚鳥と同じように俗世間を厭う存在だ。そういう風雅の心は、なかなか世の人から理解されないものである。しかし今日は仲間同士だから打ち解けて年忘れの会としよう」ということになるんじゃないでしょうか』

      南蔵院の鐘楼門は江戸時代中期の建築とみられ、練馬区指定文化財となている。
      除夜の鐘もつけるようで、準備されていた。
      春は枝垂桜が美しい。今年はじめてたかちゃん(義母)と訪ねた。

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